心構え。

まず、自分が「卑しい人間」であることを
認識するということ。
自分で「俺は優秀だ」と考えていれば、
まず認識しないで済むが、
自分が聖人君子でないことなど
自分が一番知っているし、一度鼻っ柱を
叩き折られれば、まあこれは認識するものだろう。

その上で、自分が「卑しい」ということを
抱えていくのか、克服するのか。
「卑しい」自分を克服したいと考えるのは、
その先の道の困難さが分かっていないでいる段階なら
実は当然の欲求の発露に過ぎなくて、
本当は自分に「卑しい」部分があることを認めて
それをその上で抱えるという行為の方が、
本当に難しいことなんじゃないだろうか。

完全であろうとする不完全者は脆い。
自らの汚れを正面から見つめた上で、
その汚れに流されることのないことの方が
「強い」ということなんだろうか。

不完全な強さは、
他人の弱さを許すことができず、
自分のほんの少しの汚れでその価値を見失う。

自らの弱さを知ることも、
本当の強さだ。

それは弱さというより、「やわらかさ」かもしれない。

ただこんなことを言っているうちは、
俺は自分の「卑しさ」を
認めたくない、乗り越えたいと思っていることの
証明をしているようなもので、
こういう欲求に対するメタ欲求すら
言葉にする必要が無くなったときに、
自分の「卑しさ」を抱えて
生きることができるといいな・・・と思う。

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